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 吸玉療法

 

オリンピックから一度引退したマイケル・フェルプス選手は、リオで再チャレンジするとき吸玉の跡をつけて、そして、大活躍をしました。

 

カッピングで残る跡を、体に害があるという人もいます。・・・

しかし、この吸玉の“丸い跡”を科学的に調べると、・・・

これまで人類が知らなかった、“全く新しい世界”が開けてきます!

 

 

40年以上もやってきましたが、吸玉は非科学的な野蛮な治療と云われ続けてきました。

 

吸玉を馬鹿にする人は、今これだけ科学が進んでいるんだからと、見かけだけで古臭い野蛮な治療と言います。

 

見かけだけで馬鹿にする人に、太陽は今も東から西に動き、天の方が動いているのかと問うと、・・・

そうではなく、太陽の周りをまわっているのは地球の方だと言い、科学的に証明されている常識だといいます。

 

ですから吸玉も、見かけだけで馬鹿にするのではなく、科学的にみてほしいのです。

 

人の体は、「強アルカリ性」になって腐敗します。

そして、吸玉の丸い跡から出てくる体液も、科学的に分析すると「強アルカリ性」です。

・・・黒岩東五はこれを「瘀血( おけつ )」といいました。

 

この瘀血を出すことにより、どんなことをしてもとれない頑固な自覚症状もよくとれますし、どんなことをしても治らない頑固な病気もよく治ります。

 

吸玉の丸い跡の科学的分析は、公には世界中まだ誰もやっていません。

これを公の立場でやり、それを正当に評価して公表したら、その衝撃は、コロンブスの新大陸発見並み以上になるとおもいます。

 

ぜひこのホームページ読んで、ぜひ応援していただきたいです。

一人だけでも応援があれば、世の中変えられると信じます。

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よみがえる吸玉療法

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  21世紀の健康
 

「21世紀の健康」というタイトルで吸玉療法の記事を書き始めたのは、まだ21世紀になる10年前くらいのことでした。
 
長年カッピングをやってきましたが、経営はずっと厳しく、それでも続ければつづけるほど、21世紀になれば、吸玉はきっと健康の主流になるはずとの思いが増すばかりであったからです。
 
ところが21世紀になってみると、黒岩先生が作り上げた健康医学社は破産してしまい、先生の会社の販売店をしていた私の店も維持できなくなり、併設していた治療院の経営も非常に厳しくなりました。
 
そんな折、平成24年12月に、うつ病の方が来られたのです。
うつ状態がひどくて仕事もできないとのことでした。

 

ところがこの方の奥様は、30数年前にご家族で来られた時の女の子だというのです。
 
そのときは、お父様の病気の相談でしたが、一緒に来られたのは小さなかわいい男の子と女の子でした。

 

幼くてまだ詳しい経緯はわからなかったでしょうが、父親の何か尋常ではない気配は察するのでしょうか、ニコリとつくった笑い顔の瞳の色は、何か必死さが伝わってくるような、今でもはっきり残る記憶のひとつになっています。・・・
 

うつの方の話に戻ります・・・
 
カッピングをして、次の2日後に来られたときは、ご本人はまだ変わらないとおっしゃっていました。ですが、顔色や肌の色ツヤが良くなっており、・・・

次に来られた時も、弱かった声がハッキリして、目にも光が出てきましたので、今はかなり悪そうですが、治す力は強そうな方だと思いました。
 
実際に、次に来られたときには気分が大分良くなったと、次には、それまで続いていた吐き気もとれてきたと、ご本人自身おっしゃっていました。 
                         
12月24日には、イライラが大分とれ、26日には、それまで見る気もしなかったテレビを見ようと思う気持ちが起こるようになったそうです。
 
翌年の1月には、薬を大分減らせるようになりました。
そして、それまで楽しく感じなかった、たとえば子供と公園で遊んでみたら、楽しかったそうです。

 

まだ無理ではないかと思いましたが、ご本人は大分調子が良いと、2月に仕事に復帰されました。
しかし、やはり仕事への復帰が早過ぎたようで、その後体調を崩して入院され、思うように吸玉も出来なくなりました。

 

退院してからも、職場への復帰は延び延びになり、うつ状態もひどくなり、一時かなり心 配しました。
しかし、その後ご家族の励ましもあって再びカッピングに力を入れ、この年の11月には職場に復帰でき、そして、仕事も休まず継続できるようになりました。
 
ところで、最初のお父様はどうなったのか・・・
 
あれから懸命にカッピングをされて命がけの大病を克服され、定年まで仕事を勤め上げられて、今回成長されたお嬢さんの旦那様のカッピングをご家族中で励まし応援されたわけです。

 

   
 
 
カッピングとの出会い 
 
私が子供のころ、母はよく、何日も布団を敷きっぱなしにして、寝込んでいました。
 
検査をしても異常はないのですが、どこの病院でも「自律神経失調症」といわれました。

 

この病気は、倦怠感やのぼせや不眠や動悸など、さまざまな自覚症状があります。しかし、これといった特効薬はなく、良いといわれるあらゆる治療をしたあげく、ようやくその苦しみから解放されたのは、吸玉をしてからでした。
 
昭和43年に上京した私は、4、5年で体調を大きく崩してしまいました。
 
最初は、何か疲れやすいな、と思いました・・・

仕事中に眠気がしたり、きつくて休みたくなったりするのです。
 
朝起きがつらくなり、逆に、夜は眠れなくなり、気持ちの問題と思って、朝なんとか起きて、気持ちを振り絞って仕事をするのですが、もう、くたくたになるのです。


それに、風呂屋の鏡の前に座って、隣の人と比べると、自分の肌が異様なくらいに黄色いのです。

それに、扁桃腺で熱を出したり、ぎっくり腰になったり、口内炎が出来たり、鼻血がでたり、尿がチョロチョロして、出方がとても悪く、薬を飲んでも通じが困難になり、そのうちに、極度の倦怠感に襲われるようになったのです・・・

 

・・・結局、私は、故郷に戻ることになりました。

 

そのころ、母は、すっかり元気になっていましたから、戻ったばかりの私を、有無を言わさず、カッピングに連れて行きました。それは、昭和48年頃だったでしょうか・・・
 

最初、私が吸玉を見た印象は・・・、
なんとも非科学的な、野蛮な、原始的な、・・・こけおどしのような・・・、
・・・そんな、ような、明確ではないのですが、心に浮かんだままの第一印象です。

 

しかし、カッピングに通っているうちに、なにが何だかよく分からないままに、オシッコも出るようになったようだし、倦怠感も薄れ、肌の黄色味も薄れていったようでした。

 

黒岩先生が「真空浄血療法」の普及を全国に展開していたころの昭和52年に、母は、先生の求めに応じて、先生の会社( 健康医学社 )の販売店になりました。( ※真空浄血療法は、先生独自に浄血原理や治療法を研究して命名した吸玉療法のことです)

 

そして、私は母に誘われるままに、一緒に仕事を始めることにしました。

最初の数ヶ月は、長崎県内をまわって、販売に力を入れました。

 

ですが、わたしの健康状態が、まだ完璧とはいえない状態でしたし、私は徐々に、吸玉の治療そのものに興味を引かれ始め、販売は母に任せて、治療(・・・当時は、販売のための指導でした)の方に力を入れるようになりました。


その、目にはなんとも奇妙に見える治療法でしたが、長崎県内を回って、いろんな方に吸玉をしてあげてみた手応えは、先生のおっしゃっていることが真実味をもってくるのです。
 

私は、なにか未知の、これまでにない新しい仕事がないかと、漠然とした期待を持って上京したときの記憶がよみがえっていました。

 

しかし、どうでしょう? 体にコップを付けたり、はずしたりするわけですから、血のめぐりを良くするマッサージのような効果はあるのかもしれません。

 

しかし、内臓の病気まで、しかも、肺に穴の開いた、手術を要するような病気まで、皮膚の表面にコップをつけるだけの治療で、本当に治すことができるのでしょうか? 

 

・・・とても、信じられないような話ですし、興味あるところでした。

 

 


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